文章がうまくなるには、手綱を引かないといけない、と何かの文章に書いてあった。
ある時点で、ゆるんだ調子をぐっと引き締めて、それからまた、流れに乗せていく。
そうして緩急をつけると、文章に動きが出るらしい。
手綱というのは、論理の飛躍のことかな。
ある一行で簡素な文体を使用して、読み上げる言葉の数を節約することで、リズムを厳しく引き締めるという意味でもあるだろうけど、私が思うのは、読者の予期しなかったような一個の結論をいきなり提示するという意味での、論理の飛躍があると、おっ、何か始まったぞと、そこで動きが止まって、また流れ出すという感じで、動きに着目していえばそういうこともいえる。
でも今ほしいのは接続詞がほしい。
斬新な結論をひらめいて文章を停止させるという手綱もほしいけど、それよりも今は、その結論まで粘り強く、なぜなら、なぜなら、と論理的に説明し続けることのできるような接続詞の連続に絶えうる馬がいる。それで文章の流れが淀もうとも、一向に構わない。
と野矢茂樹の本を読みながら思った。
哲学(6時間40分)