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星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

ニート生活31日目 ニート生活、一ヶ月

ニート生活

大学1年生の6月から、毎日、勉強時間を記録してきた。

記録によれば、10時間以上の勉強量を、4日連続で継続した事実がない。
私欲に溺れた帰結が今の有様といえる。

 

ニート生活一ヶ月目。
一定の地点を経過する前に、何らかの成果がなければ、自分のことを信じられなくなる。
それだけにこの4日間、読書に一層集中していた。

 

哲学をただ読むというだけのことだけど、私にとってはいろんな意味がある。
ただその意味が全体構造を欠いていて明確ではないし、口に出してしまうと迅速に色あせてしまう気がして、結局、公共性に耐えないということで、確定的なものがない。
それなのに、そこに、だれもたのまない意味を信じて、抽象画の静止のように今に完結しているのは、安価な信仰家といえる。

 

しかし、合理・非合理、いかなる信条にもせよ、ひとたび決心した以上、身をなげうって突進する。
自分の意志で決定して、行動した結果に対して責任をとる。
そういうだけのことで、あとの評価は人が決めて、自分が価値を決める。

 

人が純粋であろうとするときに、その動機が合理的であるはずがない。
不合理だろうが何だろうが、時間をかけて増えて、あるときに崩落してくるようなものに対しては、無心で、雪かき式に働くしかない。
一方で、社会で働かずに働くのなら、徹底的な現実拒否なので、遠い展望については偶然の禍福を待つのみであり、設計がない。

 

設計がないということは、未来に規定されていない所の現在があるということで、個人史の発展法則を措定できてない。
自分を自分によって縄墨されていない所にさらして、何か確定的なものに決定されようとするときには、純粋にして待つ。

純粋性は合理を無効にする。

 

待つときの純粋性にはちょっとゆるむということがない。
ゆるんだときには、厳しく張っていた反動が、曳光弾の如くに撃ち込まれる。
それでも持ち場を離れずにひたすら読む、この一条に、私の全てが集約されている。

 

単純に量的な意味での小さな達成だけど、何とかして、4日継続して10時間以上できた。
1月16日から、音楽、アニメ、ドラマを許してきた。
月9をまともに見たのは初めてだったけど、すごく面白かった。

 

哲学(10時間20分)

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