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現実が夢でないことを証明せよ

今朝、この記事をtwitterで見た。

上智大学(大学院?)の哲学科の入試問題で、「現実が夢でないことを証明せよ」という問題が出たらしい。

 

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まず考えられるのは、「夢は自分で操作できない」というコントロール不能性。

これが前提になると思う。
夢の中にいるときは、「今、夢の中にいるな」って思えないし、思い通りに作りかえたりできないという前提。夢の中でどうあがこうが、現実だと思ってしまうから、深い夢はこわい。もちろん「今、夢の中にいるな」ってわかるような浅い夢(明晰夢)はあるけど、ここで問われてるのは、現実の現実性と対置するところの虚構性を持っている夢、つまり操作不能な深い夢だというのが出題者の意図だと思う。だから、浅い夢と深い夢を、まず分けないといけないかな。

 

そうするとこれは、知覚像の問題だな、と思った。

 

要はこの上智大学の問題は、われわれの知覚像と世界のずれを指して、「君たちが見ている知覚像は現実を反映していないんだから夢を見ているのと同じじゃないか」と言わんとしてる問題だと思う。

どういうことかというと、そもそも我々一般人の99パーセントは素朴実在論者であって、客観的実在がまず外に厳然として存在すると考える。自分が目をつむっても、寝ている間でも、外には世界が存在すると考える。その客観的実在であるところの世界の側から、光の波長なり、アンモニア分子なりの刺激が、自分の感覚器官に伝来してきて、世界を認識することができる。
例えば、机の上にあるリンゴにぶつかって反射した6000オングストロームの光の波長が、目の網膜に入って神経回路を起動して、もろもろの化学作用が脳みそまで空間的に連続して、一定の脳状態を引き起こして、赤いリンゴの知覚像が生じる。
さらに、リンゴを目では確認してるけど意識を集中させてないから見えなかった、という、見えども見えずというウッカリミスがあるように、「リンゴがある!」と思うには、リンゴの知覚像があるだけではダメで、さらにリンゴの知覚像を意味理解するという意識作用がいる。スポットライトをあてる、みたいな。
つまり、意識の対象としての、客観的事物が外にあって、それに対して知覚像という意識内容が生じて、その知覚像から意味理解を得るという意識作用がある、この3つの「意識対象、意識内容、意識作用」という三項図式のカメラモデルが素朴実在論に前提されている。

 

そうすると、ここで問題になるのは、知覚像は、生の世界に触れてない、幻影だという問題。

リンゴを見るときに、われわれは「知覚像越し」でしか見ることができない。邪魔だよ、知覚像が。あいだに入ってきてんじゃないよ、と思う。生の現実にふれることができない。知覚像をひっぺがしてみたら(そんなことできないけど)、ほんとはリンゴはめちゃくちゃなキモイ姿をしてるかもしれなくて、アメーバがリンゴをリンゴとして認識できないように、われわれの知覚も限定されている。われわれはリンゴを見ながらリンゴを見てない、知覚像しか見てない。カントのいう物自体と現象の関係とか、プラトンのいうイデアと現実の関係(といってもプラトンの場合は、心の目でイデアを見れるんだったかな)に似てる。

 

つまり、われわれは幻影を見ている。全ては虚妄であると。もう仏教だよこれ。

通常の知覚においてすら、現実を見ることができてない。夢を見ているのと同じ。現実の知覚も、非現実の夢も、「実在」に触れていないという点で同じ。

 

「だから夢なんだよ現実は」と来るのが上智大学の問題。知覚像の現実性が保証されていない以上、夢と同じじゃんと。知覚像と世界のズレにつけこんでくる。

さらに考えられるのは、知覚像を操作しさえすれば、現実"感"を感じるのだから、今私たちが感じている現実感だって、どこぞの誰かが脳をいじくりまわして、知覚像が操作された結果であるという可能性が捨てきれないではないか、という疑いが生じる。

つまり、現実とは操作された知覚像である、と。じつは私たちの脳は培養槽に浸けられていて、高度な知性をもった生物たちが、その脳をいじくりまわして知覚像を見せている。現実とは培養槽の脳の見る夢である。

現実というのは、ほんとに夢かもしれない。培養槽の脳の夢かもしれない。胡蝶の夢であるかもしれない。マトリックス状態であるかもしれない。高次元空間に存在する高度な知性を持ったハツカネズミたちの作ったスーパーコンピュータが弾き出した42という数字の3次元空間への射影であるかもしれない。

 

そういうわけで、私がもしこの問題に答えるのだとしたら、問題設定の背景にある伝統的な身心二元論の認識構制と、その構制内部の結像機構に生じる知覚像について言及する。

 

 

 

 

知覚像の記述は、新哲学入門の認識論を参考にした。でもこの本、難しいよ。哲学入門とか書いてるのに、全然入門じゃない。

 

 

▼2018年11月12日追記

様相実在論の反事実的条件法という有名な思考実験で、現実は夢ではないと論証できるのがわかった。戸田山の「知識の哲学」の第7章。

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

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