星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

していいブクマと、わるいブクマ

「くだらない記事に対して、身内同士でブクマ(ブックマーク)してはいけない」という見えない掟(おきて)がある。

 

はてなブログで問題になっているのは、少数の身内同士にしか価値のないような、くだらない記事に対して、身内同士が、ブクマをつけ合うせいで、多数の人間にとっては価値のないその記事が、ブックマークフィードに上がってきて邪魔になるので自制しろという問題である。

それというのも、ブックマークというのは記事の一番下のBボタンを押すことだけど、これが3ブックマーク以上押されると、大勢の人が見るブックマークフィードにその記事のリンクが張られる仕組みになっているので、そこから得られる莫大な検索流入を目的に、「お互いにブックマークつけあいましょう」と公言して(あるいは非公言的な了解のもとに)、価値のない記事を意図的にブクマし合う人たちがいるのである。

 

運営規約では「複数のアカウントで「共謀して」同一のURLをブックマークする行為」が明示的に禁止されているので、そのような互助会は許されない。

しかし逆に言えば、「共謀して」身内同士でブクマする行為が禁止されているだけなので、「共謀せずに」身内同士でブクマする行為は禁止されていない。

したがって、「共謀して」ブックマークをつけあう互助会が、運営規約で禁止されている一方で、「非意図的に」ブックマークをつけあう互助会は、運営規約で禁止されていないので、この点について色んな議論が起こって、今では、とにかく身内同士のブクマはやめろという意見が主流のように見える。

 

非意図的にブックマークをつけあう互助会、はさらに二種類に分類できるけど、私が注目したいのは、こんな場合。

 

あーもうコメントしたくなっちゃうなあ!でも、コメント欄に書いて返信のプレッシャーをかけたくないし、自分のブログで言及するのも大げさだし、twitterで遠くからボソッとつぶやくのも寂しいし…。

よし、ほとんど独り言の形で、ブコメに書いちゃお。

 

というような、気楽なコミュニケーションとしてのブクマを、お互い偶然につけ合う場合。

直接コメント欄に書くわけでもなく、かといって本人に見えないところでコメントするわけでもなく、観客席の野次や喝采に類するような、絶妙の距離感でコメントしたいなって思う人たちのこと。

もう一つの場合は、偶然にブクマをつけあっている表情を装って、じつはフィードに上げる意図を互いにもっているという互助会だけど、今はこの計略を除外して、純粋に、交流自体を楽しんでいる人たちに注目したい。

そうすると、小さい論点を出せる。

 

「くだらない記事に対して、「気楽なコミュニケーションとして」身内同士でつけ合うブクマは、いいブクマか、わるいブクマか」

 

繰り返していうと、気楽なコミュニケーションを装って、フィードにあげようとする人たちは今は考えていない。

そして、くだらない記事というのは、誰にとっても本当にくだらない記事を想定している。

要するに、もっとも、無罪なもの同士の帰結を知りたい。

 

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思うに、「いい記事をフィードに上げたい」という観察者の態度と、「身内同士で楽しみたい」という互助会の態度は、古代ギリシャ悲劇に見られるような、共同体への義務と、家族への愛という対概念に似ている。

 

たしかアンチゴネーという悲劇のなかで、一方では、兄が死んだから埋葬させてほしいという妹の愛があって、他方では、裏切り者を埋葬してはいけないという国の法律があって、この死んだ兄が裏切り者だったので、兄を埋葬することができないというときに、あくまでも埋葬しようと押し通した妹が王に追い詰められて自殺して、妹の許嫁だった男(王の息子)も悲しみにくれて自殺して、みんな不幸になるという展開がある。

 

ここで注目すべきなのは、埋葬したいという家族の愛があってこそ、若者は戦地に赴くし、他方で、裏切り者を許さないという法があってこそ、若者は戦地で死ぬのであって、どちらの立場でも国の繁栄に貢献しているという点である。

全体性に寄与するという点ではどちらも欠かせないのにも関わらず、それぞれの生き方を追求していった結果、かえって全体性が損なわれる。

 

それと同じくして、観察者にあっても、「身内同士ブクマしてはならない」という掟を堅実に守ってこそ、いい記事をフィードに上げて、はてブの選別機能を向上させることができるし、非意図的な互助会にあっても、気楽にブクマし合あってこそ、コミュニケーションを活性化させて、全体交流の活性化に寄与することができる。

 

つまり、どちらも共通して、全体性の繁栄に貢献している。

しかし両者は、決して両立できず、目的を果たすためには、互いを打ち消し合わないといけないという二重性から逃れることができてない。

はてな全体のために努力しようとすればするほど、かえってそれを傷つける悲劇に帰結したとわかる。

 

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