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星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

神がいたとして、人生に意味はあるか

哲学論争テーマ

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「人生に意味はあるか」という問いには、神の概念を導入すると、3つの答え方ができる。

 

神の計画

1つ目は、「人間のためになる神の計画が存在しているから、人生に意味がある」。

しかし、自分で計画を立ててこそ、それを達成したときに充実感が生まれるのに、なぜ部外者の計画なんかに従わないといけないのかという問題が出てくる。どんなに愚かな選択をしようとも、自分で計画を立てて実行することが気持ちいいんであって、おせっかいな計画の押し付けで機械仕掛けのカラクリ人形として人生が運行したとして、そこから生じる人生の意味は私の意味ではない。ただ神の計画をこの身体で再現しているだけのこと。それにアウシュビッツの虐殺が神の計画だとしたら、虐殺されることに意味が生じてくるので、この難所をどう乗り越えるのか、逆に言えばアウシュビッツを説明できればいい。

 

神の永遠性

2つ目は、「人間に永遠の命を授けたから、人生に意味がある」。

しかし、自分の生命が延々と持続し続けたところで、単に持続しているということだけでは価値は出ない。永遠というだけでは、意味がない。はてしない持続だけでは、それが苦痛かどうかは別にしても、恐ろしく無機質なので、価値を付与する何かが外部になければ、人生の意味は出てこない。生命の対極である死が存在しないので、かえって生命の輪郭が浮き出てこない。

 

神の愛

3つ目は、「人間は神の愛の対象だから、人生に意味がある」。

私はこの考え方好き。しかし、今のところ神の愛を感じたことがない。神がいるとして、私を愛してるとして、何でこう控え目に愛してるのかわからない。私の目に見えないような形で、透明な背景として、私を見ているのはなぜ。なぜそんな引っ込み思案の愛し方で、私を愛せると思ったのか知りたい。神が私を愛しているということを、私が努力して見つけ出さないといけないのか。だとしたら、意志や知性など、今私の手元にはない何らかの力を身につけないといけないが、人生の苦難の中で、見つけようという気力すら失ってしまった人はどうなるの。最も、愛されることを必要としている存在が愛されないという矛盾が出る。その矛盾のただなかにいるのは私。

「神の計画」「神の永遠性」「神の愛」の3類型については、『哲学のアポリア』p180-181参照。


ヘブライ信仰における神を想定しているような気がしたな。


知識の外在主義におけるノージックによる反事実条件法理論に立てば、たぶんどの命題も成立しない。分析哲学では弾かれてしまいそう。

超個人的な実体である神によって、個人的な私の人生に意味が出るということは、人生の意味の条件を決めるものが、私の生きや考え方の外部に置かれている。
もっといえば、人生の意味の一般的な条件があらかじめ用意されていて、それを発見したまさにその瞬間、個々の人生の意味の条件がパチンと与えられるということ。

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