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星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

演技のあと、もとに戻れるか

哲学論争テーマ

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村上春樹の『ドライブ・マイ・カー』という短編を買った。

「演技」がテーマになってる。

主人公の俳優と、女性ドライバーの会話がオシャレすぎる。

 

「演技をしていると、自分以外のものになることができる。そしてそれが終わると、また自分自身に戻れる。それが嬉しかった」

「自分以外のものになれると嬉しいですか?」

「また元に戻れるとわかっていればね」 p.35

 

本屋で立ち読みしていたとき、買おうかどうか悩んでいたけど、このセリフを見たときに、買おうと思った。

なんで、この会話に魅かれたのかなー。

次ではこんなことも言ってる。

 

「でも戻ってきたときは、前とは少しだけ立ち位置が違っている。それがルールなんだ」 p.41

 

かっこいいいー!
ルールなんだってさ。
ふつうは、ルールとかじゃなくて、そういう心理現象が起きてくるからやっかいなんだって言うところなのに。

ところで、村上春樹の小説にでてくる多くの登場人物が、細かいものごとのあり方を大切にするのはなぜだろう。
毎朝鏡を見て自分の顔を点検したり、小さな鍵の修理をしたり、車の点検をかかさなかったりして。
ささやなかなところではあるけど、そういう小さなところから、自分を保とうとしている。
苦しいことがあっても、とりあえずその歯車に自分を乗せて、演技しようとしている。
それぞれの持ち場で、

 

照明を浴び、決められたセリフを口にする。拍手を受け、幕が下りる。いったん自己を離れ、また自己に戻る。しかし戻ったところは正確には前と同じ場所ではない。 p.62

 

演技のあと、同じ場所に戻れないのは、なぜか。
それは、演技をすることで、もとの自分により多くのものが付け加えられたから。
そうなりえた可能性が現実化されることで、より多くの現実性が付け加えられたから。
演技を終えた瞬間、その生き方を経験している。

この短編では一貫して、「演技」について肯定的に語られている。つまり、演技中は、苦しい自分から離れることができるし、他方で演技後は、少しだけ自分が変わっているから、今は苦しくても演技さえしておけば、わずかながら進んでいけるんだって。
ブリッコ最高伝説。
もっと言えば、『ドライブ・マイ・カー』で提示されている生き方は、人生のなかで不条理を受け止めないといけないとき、生身の自己のままだと、傷つきすぎてしまうから、演技をすることでしのいでいって、演技後のより大きくなった自分にかろうじて苦しみを先送りして受け継いでなんとか生きていこう、というタフな生き方なのではないかと思った。
こういうタフなとこ好き。

この「演技」観は、人生は演劇だと言ったストア主義に似ているようで、違う。
ストア主義は、仮面で役割を演じてみせることが倫理的な生き方だと説いたので、演技中にこそ自己があるけど、村上春樹はあくまでも、戻ったところに自己がある。

演技と非演技との、懸命な往復運動によってしか近づけない自己が想定されている。

 

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