星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

社会運動のリーダーは、死ぬべきか

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リーダーの継続性

社会運動の質を決定するのは、終始一貫したリーダーの存在である。
運動の退潮局面においても、それを見捨てずに引き受ける覚悟のあるリーダーがいる社会運動は、そのようなオーラを前倒しで帯びている。
夕暮れどきに、ある全共闘運動のリーダーが最後の看板を背負って、大学の並木道を歩いている様子を見てそう感じたと内田樹が言っていた。十字架を背負うキリストに重なるところがある。

つまり、ていねいに後片付けをする「弔い」の仕事を果たすことによって、その社会運動に完結性が与えられて、首尾一貫した思想的事件としての価値が決定されるということ。

しかし、弔うといっても、リーダーにとっては、その社会運動ができるだけ長く持続していくことに越したことはないだろう。
かといって完結性が与えられなければ、ただの祝祭的な一時現象であって、歴史の泡沫に過ぎない。

その矛盾をどうしても乗り越えようとすれば、死ぬしかない。
英雄的行動が死をもって締めくくられるように、死の一撃によって完結性を与えることで、運動の永続性が生じる。
つまり、弔いたい、弔いたくない、の矛盾を切り開く血路として、自らを弔われる対象として不在の存在とすることで、ある志向性だけ残して未完の物語として紡ぎ手を待ちながら完結する。完結しながら、完結していないという動的な状況が生まれる。
こうして永久の参照点として、歴史に居場所が与えられて、そこから正統性を付与された運動が反復的に噴出して持続することになる。

 

『街場の文体論』p.234参照

社会運動はどうやって起こすか


この3分の動画では、社会運動を起こすには、1人目のフォロワーのリーダーシップが重要だと説いている。
最初、裸の男が1人で変なダンスをして、周囲から嘲笑されているのに、最初のフォロワーは勇気をもって参加して、周囲にどのように従えばいいかを示したことで、次第に人が集まって、そのバカをリーダーに変える。

今注目したいのは、裸のリーダーが遊んでること。持続する気なんてない。遊びだから。にも関わらず社会運動になる。内田樹によれば、これは一過性のブームとして消費される、歴史的価値のない社会運動ということになるだろう。政治運動でもたまにそういうのがある。

自分に翻って考えてみると、グループで何かしようとするときは、首尾一貫の決意性を出したほうがいいのか、一過性の和合集合として気楽な感じを出したほうがいいのか、どうしよっかなって思う。
どちらにしても、私がリーダーになることはないので心配ないけど、もし最初のフォロワーになるのであれば、この動画のように、リーダーシップの一形態としての主体性は持ちたいなと思う。

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