星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

人生の意味は、2つの場所で与えられる

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家族と社会

1つ目の場所は、他ではないあなたが居てもらわないと困ると、認めてくれる家族や恋人。
2つ目の場所は、自分の仕事を必要としてくれる会社や社会。
つまり、家族と会社によって、人生に意味が出る。

例えば、作家は、自分の書いたものによって喜びを感じてくれる読者がいるから充実感を感じるし、そこで失敗しても、家庭に帰ったら無条件で必要とされるので安心できる。

だから、恋人との関係ではオンリーワンを確保しておいて、仕事ではナンバーファイブくらいを確保しておけば、人生に充実感が出ると大澤真幸が言っていた。

たしかに、家族や恋人とは、いっしょにいるだけで充実感を感じるし、さらには自分を献身することによって、かえって充実感を感じるという、おかしな仕組みになっている。つまり、利用しあう関係ではなくて、無条件に人格を尊重しあう関係になっているので、市場価値のない自分であっても、必要とされる。
そして、会社においては、仕事によって技能が身について、給料があって、仕事関係者から必要とされるので、自主独立の満足感を得ることができる。よく言われるのは、青年期の悩みは、仕事をすることによって、たいてい解決する種類のものだから気にするな、という教訓。つらいのは変わらないけど、金が入ってきてるんだし、技能は向上して、仕事上の他者からも承認されているので、金、技能、承認のトリプルパンチで片がつく。

この特定少数(家族)の無条件肯定と、不特定多数(会社)の条件肯定によって、充実感が得られる。

しかし最近では、家族や恋人のオンリーワンになれないケースや、単に会社から必要とされるだけでは充実感を見出せないケースが増えている。

2つの場所で、人生の意味が完結しないとき、趣味や芸術で対応できるんだろうか。

以前の記事で、神がいたときの人生の意味について書いたけど、この場合は、2つの場所は必要ない。
なぜなら、ぼろぼろになって、何もかも失ってしまったような人をも救い上げてくれるのが神なので、家族とか会社は前提されてはいけない。あるに越したことはないだろうし、じっさいの実践の場所はそこなんだろうけど、そういうところから隔絶した外部から、意味が与えられるんじゃないかなと思う。

私は今まで、「人生の意味」という形で考えたことがなかったけど、もしこれから考えることがあるとすれば、退屈な仕事をしてるときだと思う。過酷労働で、ひーひー言っているときは、それどころじゃなくて、ただ生きていくのに必死、何も考えずにがんばるのに必死だと思う。退屈なときにこそ、ぼんやり考えてそう。未来の私は。

 

『群像 人生の意味?』p.61-75参照。

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