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星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

寂しさは欠如か

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寂しさに 宿を立ち出(い)でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ

(良暹法師)

私は勘違いしてたみたいで、この詩は、「寂しくて外に出たら、どこもかしこも夕焼けで、いっそう寂しさがつのる」っていう詩らしい。
昨日の記事を書くとき、検索した記事のどれを見てみても、そう書いてた。

 

私はてっきり、「いづこも同じ」夕焼けなんだから、「誰もが見てる」夕焼けという意味で、「ああ私は孤独じゃなかったんだ!」って気づく衝撃的な詩なんだと思って、すごく好きだったのにそれがこの様。私と同じ気持ちの人はいなかったってこと。あの感じを何百年も前に刻み付けた人はいなかったってこと。

 

でも考えてみれば、寂しいという気持ちが、よくわからないので、勘違いしても当然かなと思った。
どの気持ちのことを指してるのか、よくわからないこともあって、「私は今までの人生で寂しさを感じたことがない」とずっと思ってた。

寂しさとは

しいて言えば、片思いのときに、つき返された気持ちのことかなと思った。
というのも、片思いしてるときでも、「あの人といっしょにいたいな」と感傷的な心地よさに浸ったり、恋慕の甘美さに浸ったりするのって、寂しさとは言わないと思うけど、一方で、「あの人といっしょにいたいのに、そうすることができない」と激しく突き離されているときの疎外感というか、相手に嫌われたり、相手が死んだりして、もう会えないんだ…という喪失感は、寂しさと言ってもよさそうだなと思った。
恋愛は、この恋しさと、寂しさとの間を往復運動してるような気がする。

 

つまり、寂しさは、いっしょにいたい人といっしょにいられる可能性が、とうとう、なくなってしまったと実感したときの喪失感のこと。
大切な人を失ってしまったという欠如が、必要条件。

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