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星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

五輪エンブレムの幾何学的規則性は、わびさびの美に反するか

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五輪エンブレムが、幾何学的規則性によって構成されていると判明して、逆に批判を浴びていた。

幾何学的模様に、何の感銘も受けないんだが」
「パッと見て美しいかどうかが問題なのに、背後に規則性があるとか言われても、それは高度な葬式エンブレムってだけのことで、視覚表現の有効性を保証するものではない」

幾何学的法則という完全性によって構成された美しさなのに、賞賛の対象になっていない。
規則的な完全性に価値を感じないのには、形式の完全性を忌避する禅の精神が背後にあるのではないかと思った。

禅とは

禅は、精神に焦点をおく結果、形式を無視する。形式の完全性は、人の注意を形式に向けるからである。形式の不十分、不完全たる事によって、精神がいっそう表われる。形式主義を排して、清貧主義・禁欲主義に還ること、何ものにも執着しない孤絶性に還ることを重視する。

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馬遠の描いた一介の漁舟は、茫漠たる海において、頼りなげに浮いているのに、満足の感じを与える。
馬遠の一角様式は、できるだけ少ない描線や筆触で物の形を表わす、滅筆体という日本の伝統的画法とも結びついており、両者は、禅的な孤絶性と一致する。

こうして禅の精神は、一切の人工による形式を破り、形式の不完全性を重視する。
しかし、形式を破るといっても、およそこの世にあるものは、全て形式を備えて具体化するものであるため、具体的な破り方が要請される。
そこで、わびさびの美意識が出る。
わびの美意識は、形式を不足した形式にまで削り込むことによって形式を否定し、さびの美意識は、形式を劣化した形式にまで貶めることによって形式を否定する。

わびとは

わびの真意は、貧困である。
富、力、名声などの世間的な財産に頼っていない、頼りない貧困のなかにこそ、最高の価値をもつものの存在を感じるとき、わびを感じる。

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馬遠の絵は、情報を削りすぎて、貧しい輪郭しか残ってない。頼りない舟が、思い通りにならない波の揺曳によって、いつでも転覆する状態にあるのに、なぜか充足している感じがある。
無虚飾で、貧しい形式があきらかに短所や欠点となっているのに、その不完全な美のなかに満足を感じるとき、それがわびである。
シンプルな線にまで削り込むという点では、これはシンプル志向と近いけど、まだ違う。それは、シンプルな形式に削り込まれただけであって、不足した形式に削り込まれたわけではない。機能が足りない、装飾もない、どうしようもない貧しい線にまで削られてしまったら、わびが出る。
わびとは、貧しい不足した形式である。

さびとは

形式を否定しようとするあまり、それが劣化することまで願うようになると、さびが出る。
対象物を否定しようとして、ぞんざいに扱い、無造作に接すれば接するほど、人工性のない無骨な代物に成り果てて、渋みが出る。反対に接するのをやめて、それを野にさらしておけば苔がつき、錆びがついたりして、古色が出る。
iphoneのスタイリッシュなデザインは、禅の精神を反映していると言われるけど、もし新品のiphoneが、長年の使用によって傷だらけになったり、磨耗によって色が変わったりして、歴史性を帯びることによって、意図しない無骨さが出てきたら、さびが出る。
さびとは、無造作な劣化した形式である。

両者は、形式の不完全さを求めるという点では同じだけど、意味合いが少し違う。
わびは、形式が不足しているという意味での不完全であり、さびは、形式が劣化しているという意味での不完全である。
したがって、さびの美意識のほうが、対象物がどんどん劣化していくという没落の運動性を強調しているので、変わりゆくものをより積極的に称揚している。後に見るように、変わらない永久の法則を求めるという幾何学的規則性の礼賛を、より否定するものは、変わりゆくものを求めるさびの美意識であると思う。

規則性とは

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古代ギリシャの建造物は、均斉、対照、明澄、端正などの論理的明晰さによって統御されており、彫刻は、均整のとれた体つきによって、個人の個体的特徴が無 視されている。そこには、不完全なものは存在の資格において劣っているという感覚があり、普遍的な真実と見定めた一つの理念が、明晰かつ強力に表現されて いる。
また、古代ギリシャの自然哲学では、「万物の根源は水である」などと言って、世界の根底に唯一の不変な実体を求め、生成変化する多様な現象世界をこの実体の変容 として説明しようとした。宇宙を支配しているものは、混沌とした偶然ではなくて、秩序ある法則であるという見方が根底にあり、この人類史上前例のない理性 主義が、近代文化の源泉になっている。
古代ギリシャの精神は、あらゆる粗雑物を削ぎ落として本質にせまろうとするという意味では、禅の精神と同一であるのにも関わらず、その最終的な結晶は、不動の規則性によって構成された形式美、という禅とはあまりに対照的な美意識に帰結している。

五輪エンブレムの幾何学的規則性は、変わらないものを求める理性主義によれば、賛美の対象になるが、変わりゆくものを求めるさびの美意識によれば、賛美の対象にならない。

『禅と日本文化』p.10-21参照。またまた自分の暗記用にまとめた。

『禅と日本文化』p.11-18参照。古代ギリシャ思想のページは何度も見てしまう。

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