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星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

「待つ」ということを人生の一部に入れたい

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ブログを書いてる最中は、自分で気になる数行を頭に入れてから、席を立つようにしてる。

お風呂掃除とかトイレ掃除とか、日常の雑務をこなしていると、その数行が蒸してきたり、逆にサッパリ抜け落ちたりして、自動的に選別される。
偶然の働きに身をゆだねて、理性を退避させたところに、「水が満ちてくるように」何かがやってくるのを待つ。
そんな風にして、待たないようにして「待つ」ということを少しずつ人生の一部に入れられたらいいなーって思う。

創造的な作品づくりには、そういう「緩み」が必要だと言うので、期待せずに待つということは、文書を書くのには有効だと思う。

でも、最近はそれだけでなくて、もっと何か別の待ち方がしたいなと思い始めてきた。
文章修業のために待つのはなくて、目的の無い待ち方がしたい。
何を待っているのかもわからないという頭の狂った無効性が、人生に大切な気がする。

「すばらしい日だな。こんなに何もなくて、こんなにすばらしい日は、一生のうちに何度もないかもしれない」
本多は何かの予感に充たされてそう思い、そう口にも出した。
「貴様は幸福ということを言っているのか」
と清顕は訊いた。
「そんなことを言った覚えはないよ」
「それならいいけれど、僕には、貴様みたいなことはとても怖くて言えない。そんな大胆なことは」
「貴様はきっとひどく欲張りなんだ。欲張りは往々悲しげな様子をしているよ。貴様はこれ以上、何が欲しいんだい」
「何か決定的なもの。それが何だかはわからない」

三島由紀夫『春の雪』p.25

ああ自分が待っていたのはこのことだったのか、と思い知ること。

当時の日記でも、そういうの待ってた気がする。

 

 

 鷲田清一『「待つ」ということ』参照

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