星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどい

自由に文章を書くのはむずかしい

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この前の記事に、コメントをもらった。

気持ちを文章で表すのは、本当に難しいですね…

 

自由に文章を書くのもなかなか難しい。

 
同感すぎる(*'ω'*)
私は思い通りに文章を書けないことの悩みがいっぱいある。

思いつめているときは、自分を厳しく突き放すような文体で書かないと、全然気持ちが表現できない。
逆にリラックスしているときは、友人に話しかけるような文体で書かないと、やわらかい気持ちが表現できない。

そうやって文体をコロコロ変えて、気持ちを的確に表現しようと何度も書き直したり、切り貼りしたりするけど、かえって人工的な感じが出たりしていやになる。
「ここの部分、頑張って書いちゃってるんだろうな」と、すかした顔が透けて見えてきて、恥ずかしくて見れない。


違和感をうまく拾えないのも悩み。文章を書いているときに、「ちょっとこの表現は臭いかな」と自分でちゃんと違和感を感じているところでも、そのささいな違和感を大切にしないから、脳の表面をささっと違和感が走るだけで、いつのまにか通り過ぎて放置することになっている。2日経って読み返してみると、感傷的になりすぎている部分とか文章がほころんでいる部分が、ことごとく違和感を感じていた部分だとわかっていやになる。ちゃんと違和感を大切にしたいのに、なんで忘れるんだろう。

抑制的な文章で書けば後悔が少ない。
でも文章を抑制しすぎると、抽象化しすぎて、情報量が0になる。


もう何をやっても、うまくいかない。
だから最近は、ある程度までは抑制するけど、あとはもうぼちぼちやっていこう、って開き直って書く。
どんなに純粋に書こうとしても、自分の思い通りにならない要素が入ってくる。
このまま自分の思い通りにならないものによって、自分の輪郭を揺さぶられてみたい。
言葉を1文字発している時点ですでに文章の方向が決められているのだから、あとからいくら削ったり抑制したところで、文章の発展性には限界がある。今まで、引き算でやってきてダメだったのなら、今度は反対に、自分を裏切ってくるものも中に入れて、その動きをちゃんと感じながら、文体を雑居的に維持するところから始めようと思った。

新聞記者の辰濃和男という人が言っていたけど、心の奥底にあったものが恐ろしい勢いで吹き出てくるときに、それを書き続けることが文章修業になると言っていた。書きたくて書きたくて、ただもう言葉があふれてくる、というときに、そのまま書く。文章を削ったり抑制することだけでなくて、自分ではどうにもならないものに振り回されることも文章修業。

深夜のニューヨークのビルの一室で、毎晩毎晩、あとからあとから湧いてくる言葉をテレックスに打ち続けたというような経験は、あのときのほかはありません。あの時のテレックスのテープを捨てずに取っておいたらと思うのですが、残っていたら、とても恥ずかしくて読みつづけることはできなかったでしょう。あれはしかし、まぎれもなく、またとない文章修業の場でした。
心に浮かぶ雑感を書き、すぐに捨てる。影も形も残さない。テレックスのテープをゴミ箱に捨てながら、「伝える」というコミュニケーションを抜きにした文章に、なにやらいさぎよさを感じたのも事実でした。
(p.58)

 辰濃和男『文章のみがき方』参照