読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

気持ちが盛り上がっているときの文体

文章のみがき方

f:id:jougetu:20160522183451j:plain

この前の記事に、コメントをもらった。

気持ちを文章で表すのは、本当に難しいですね…

 

自由に文章を書くのもなかなか難しい。

 
同感同感。

私の場合、思いつめているときは、自分を厳しく突き放すような感じで書かないと、全然気持ちが表現できなくなる。
リラックスしているときは、隣の人に話しかけるような感じで書かないと、気持ちが乗らない。

そうやって何度も書き直したり、切り貼りしたりしているうちに、人工的な感じが出る。
後から見返すと「ここの部分、頑張って書いちゃってるんだろうな」と、すかした顔が透けて見えてきて、恥ずかしくて見れない。
特に書いてる最中に、「ちょっとこの表現は臭いかな」って自分でちゃんと違和感を感じてるところでも、脳の表面をその印象がさっと過ぎ去るだけで、いつのまにか「これくらい大丈夫だよな」って放置してるので、そういうツケは絶対に回ってきて、2日経って見てみれば例外なく腐ってる。
後から見たときに、「あーこれは違和感感じたところだったよなあ、バカだなあ私」と思って、うんざりする。

抑制的な文体で書けば後悔しない。
でも私は抑制する技術がまだ未熟なせいで、「ああこれ以上抑制すると、あんまり抽象化しすぎてしまって、情報量0だな、感情がぜんぶ乗ってないな」と思って、何もできなくなる。

だから最近は、ある程度までは抑制するけど、あとはもうぼちぼちやっていこう、って感じで書く。

いきなり文章が激しくなったり、和らいだりするのは、不安定な感じを与える。
でも、そういう自分の思い通りにならないものによって、自分の輪郭を揺さぶられるのも、いいかなーって思う。
言葉を1文字発してる時点ですでに方向が決められてるんだから、いくら削ったり抑制したところで、限界がある。今まで、引き算でやってきてダメだったのなら、今度は反対に、自分を裏切ってくるものも中に入れて、その動きがちゃんと感じられるところに置いて、文体を根本的に変えていかないといけないと思った。

新聞記者の辰濃和男という人が言ってたけど、心の奥底にあったものが恐ろしい勢いで吹き出てくるときに、それを書き続けることが文章修業になると言ってた。書きたくて書きたくて、ただもう言葉があふれてくる、というときに、そのまま書く。文章を削ったり抑制することだけでなくて、そういう自分ではどうにもならないものに振り回されることも文章修業。

深夜のニューヨークのビルの一室で、毎晩毎晩、あとからあとから湧いてくる言葉をテレックスに打ち続けたというような経験は、あのときのほかはありません。あの時のテレックスのテープを捨てずに取っておいたらと思うのですが、残っていたら、とても恥ずかしくて読みつづけることはできなかったでしょう。あれはしかし、まぎれもなく、またとない文章修業の場でした。
心に浮かぶ雑感を書き、すぐに捨てる。影も形も残さない。テレックスのテープをゴミ箱に捨てながら、「伝える」というコミュニケーションを抜きにした文章に、なにやらいさぎよさを感じたのも事実でした。
(p.58)

 辰濃和男『文章のみがき方』参照

広告を非表示にする