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星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

批評系ブロガーになれない無力感

文章のみがき方

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私は、頻繁に文章を書けない。

 

批評系ブロガーは、一週間に一回程度の更新は、余裕でできる人が多い。

研究者は、何年もかけて長大な論文を書く一方で、そのあいだに短い論文を何本も書くという。

村上春樹は、長編小説を書く時期はそれだけに集中して、その後に、短編を書いたり、エッセイを書く。
「短編を書くことで、思い切った実験を行うことができるし、長編小説でうまくカバーしきれない細部を、小回りをきかしてカバーできる」と言っていた。
短編が長編に膨張したり(海辺のカフカ)、短編が材料になって長編が構成されることもあるという(蛍という短編を材料に、ノルウェイの森ができた)。

大学生も、頻繁に文章を書く。大学のゼミのとき下級生の子が「ぼくは日頃レジュメを何個も作っていて、後はそれを組み合わせて論文をつくってます」って教えてくれた。そのあとに、論文の優秀賞をとっていた。

全員、短い文章を栄養にしている。

それと同じように私も、「小さくて基礎的な体力仕事」みたいなことをしたい気持ちがあって、この5月は毎日ブログを書いてきた。
特に、何かを批評したり、本を参照しながら何か書きたいという気持ちが強かったので、書くことは決まってなかったけど「とりあえず走っているうちに、コツをつかめてくるだろう」と書き始めた。
どうせいつまで経っても、うじうじして書かないんだから、今はレールに自分を乗せることが先決だと思った。

そしてちょうど半月経ったとき、「どうしても書けない」とわかって愕然とした。
私の力量では、毎日批評を書くなどというのは身の程知らずなことだと、身体を通してバカな頭にようやくわかった。
それがわかって5月後半からは、急旋回して書く内容を変えた。

始める前は、批評できる自信はないけど「そうはいっても」何かしら書けるだろうと思っていた。
そうして何日も何日も、刺激的なニュースを前にして、「よし書こう」と何度も思ったけど、論評できることは何もなかった。
例えば今はアイドルの殺傷事件で、関係性の「商品化」ということで議論が起きているけど、「商品といったらマルクスだよなあ」と思って、これを勉強してないばっかりにピンと来るものが何もない。
この世界の矛盾を集中して受けているような人を救える論理は、自分の中からは出てこない。

かろうじて、憲法9条と、五輪のエンブレムの記事で、社会現象に言及できたけど、それは本の内容をドカンと載せただけ。
暗記用に要約してるだけだから、自分のICレコーダにふきこんでるだけでいいなと思った。
それを公開するにしても、要約に時間がかかりすぎるので、一ヶ月に一回が限界。
一週間に一回のペースで、批評してる人達は、頭の中どうなってるのかなと思う。

もっと爽やかに、本の一文に感想を与えたり、哲学事典の単語を自分なりに説明したりすれば、持続できるかもしれないけど、「うーん、私はそういうのしたいわけじゃない」って感じる。

道が遠すぎる。どういう形態であれば、短い文章を刻めるのかぐらい、自分の心にぴったりわかりたい。

 

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