星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

量子力学は自由意志を救済するか

f:id:jougetu:20160514192045j:plain

決定論

人は自由に、なにかを選択できる。

コーラを今飲んだのは、私が意志したからであって、誰にも強制されたわけではない。
しかし、選択の原因を、大脳生理学や物理学の見地から、精密に列挙していけば、その選択も先行する何らかの原因によって必然的に引き起こされた結果に過ぎないとわかる。

結果には、必ず原因があるんだから当たり前の話。技術的には難しいとしても、全ての原因がわかれば、結果がわかる。
つまり、宇宙の状態を全て測定して、ある時点の原因を全て特定できれば、それ以後の未来の結果がわかるということ。
もっと言えば、ビックバンのときには全ての結果が集まっているので、そこで計測したら未来の出来事は全てわかる。
未来の出来事は全て、ビックバンのときに決定されている。

今この瞬間の私の選択は、ビックバンのときに既に決定されているんだから、もはや自由な選択とは言えない。

心理的に自由だと思ってるだけのことで、ほんとうは自由ではない。

技術がもっと進展して、観測装置がもっと発達して、多くの原因を特定できるようになるまで、わからない原因を自由だと思ってるだけのこと。
したがって、なにかを自由に選択しているように見えても、ほんとうは決定されている、というのが決定論。

コーラを今飲んだのだって、ビックバンのときに決定されている。

この決定論と自由意志論の対立は、西洋哲学史の永久のテーマになっている。でも、こんなん子供でもわかることで、結果には原因があるという因果法則が現にこの世界にはあるんだから、決定論で決まりじゃんって思う。

非決定論

しかし、現在の物理学では、量子力学的な非決定性が残るので、原因を全て特定することはできないとわかっている。

特定できない原因が、穴ぼこみたいに、この世界には存在してる。

結果には必ず原因があるなんて、もう言えない。

この世界には空白がある。

だから、すでにこの時点で、決定論は敗北している。

もちろん、選択するときには色んな原因が「影響」はしているけど、量子力学的な非決定性に影響されている部分もあるんだから、もう決定論とは言えない。

なので、量子力学的な非決定性によって選択したんだよと言っちゃえば、それは選択に原因がないということを意味するので、原因がないという自由性で選択したと言える。
ああ、これで人間にはちゃんと自由意志があるんだ、もう安心だって思うかもしれない。私はそう思ってた。

サイコロ

脳科学等の科学的知見にあわせて、自由意志論を語ろうとすれば、「量子力学的な非決定性をもってふるまうニューロンが脳内に存在している」と考えないといけない。
そのニューロンによって、決断をしてることになる。
そして今、そのニューロンがぶっ壊れたとして、代わりに量子的非決定性をもった物理装置を脳内に埋め込んでみる。例えば、シュレディンガーの猫のときのように、ラジウムガイガーカウンターを使った装置。
というか、それは脳内に埋め込む必要はなくて、ガイガーカウンターで計測された値を脳内に送り返す装置を作ったとしても、まったく同じ機能が保証される。
そういうわけで、外部にあるラジウムのランダム性抽出機によって、行為を操縦されることになる。
ランダムでパチンと動き方が変わってくる、実験マウスと同じ有様が、自由であるといえるのだろうか。

という風に、ちょっと誇張された例だけど、結局、量子力学の非決定性によって意志的決意性が決定されるのだとしたら、頭の中にサイコロがあるのと同じなので、そういう偶然の結果を、自由な選択とみなしていいのかという問いが出る。

 

 『自由の条件』p.434-435参照。数年モヤモヤしてたことの問題の所在が2ページでわかった。