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星の動く音がうるさい

2016年からニート状態。独房の中のように過ごしたい。焦燥感がひどいな

ニート生活176日目 6月の行動原理

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  • 精神を回復させるには、単語帳を暗記するにかぎる。

 

  • ブログを書くより、見るほうが楽しい。

 

  • 起床30分以内は、机で勉強する気が出ないので、歩きながら本を読むようにした。有酸素運動で血流が増加することによって、海馬のニューロン成長を促す成長因子が2つ出る。以前はθ波が発生して集中力が上昇するのを狙っていたけど、もはやどうでもいい。

 

  • はじめて詩を書いた。

 

  • 箇条書きだとブログが書きやすいということを今発見した。

 

  • ちゅるちゅるの新鮮な脳のために走る。有酸素運動によって海馬に生を受けたピチピチの新生ニューロンたちは可塑性の天才児なので、28時間以内に情報を叩き込めば、粘土にパンチしたみたいに、長期間残りやすい。また、ピアノのうまい子どもが数学の習得に優れているように、ある運動によって形成された複雑な脳内ネットワークは、その運動以外の学習でも使用できるため、28時間効果を無視したとしても、効果があるから安心できる。週4日中強度ジョギング、隔日週2日強度ランニングによって、新生ニューロン生成とBDNF生成・放出を効率的に促進する。強度ランニングにおける全力疾走30秒5回実施により、HGHの増加と全成長因子の大量生産を促進しチートモードに突入する。ランニング終了後トマトジュースの摂取で活性酵素を除去し、バランスボールを使用した平衡運動によりBDNFを倍加する。自由主義国家における政治的義務は、制度の正義性を維持し促進するという自然的義務のテーゼに集約されるが、制度からつま弾きにされたところのプロニートにあっては、精神衛生を維持し促進するの一条に全ての義務が集約されている。

 

  • 玄米茶による、タンニンの摂取である。

 

  • 輪廻転生がある。ドイツ語暗記の夜、ふかふかの布団に入って心を点検していると「あ、西洋哲学史の勉強をやりたい気持ちが戻ってきてる!」と突然自覚した。インドの森羅万象が茂って土に還ってまた芽を吹くように、精神にも輪廻がある。

 

  • 一度リズムが途切れたら、3日間何も手につかなくなる。牛歩の牢屋。

 

  • 偶然性を制度にいれた。勉強10時間、2日以上続いた場合にのみ開催できるクジ引き大会制度を、折り紙を使用して構築した。

 

  • 趣向が偏っているせいで、ライバルといえるような存在が人生に現れてこないのが悩みだった。しかし、ニート生活176日目に入って頭がどうかしたのか、ついに格調高雅なニートを脳内で実体化して彼と競い合うという狂った妄想を行うようになり、悩みが解決した。哲学をやるライバルとしては、雌伏して刃を研いでいるような、執念タイプが一番こわい。大学生はやわらいオレンジ色の照明のきいた図書館で哲学して、社会人はジャズの流れる清潔なカフェで哲学して、学者は安定した地位で哲学して、ニートは社会で役立つ資格勉強でもしろやという声援のなかで哲学する。しかし、哲学ニートにとっては一切の声が無声におわる。自分の内部の目的に集中しすぎて、外部という概念がない。無効性に徹する純粋行動の迫力で、力をつけるおそれがあるため、ライバルにふさわしい。彼を召喚するときは、かなり具体的なイメージをもつために、額に神経を集中させて、目をつむって、頭上2メートルの地点に記号型GPSを打ち上げる。そしてまさにその瞬間、私のいた場所に彼が入れ替わる。彼を観察することで、自分のやるべきことが見えてくる。つまり、頭の中に実体化しているライバルの行動を、自分がとる。

 

  • 単語帳の高速復習法を確立した。

 

  • いつまでたってもプロニート志望中なので、プロとして名乗りを上げていかないと成長がないと思った。7月はプロニート自称中でがんばる☆ちゎ―――(o´ω`o)ノ゙―――ちゎ☆結果のいかんによっては、クズニートへ格下げとする。

 

 

ブログを書く理由

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曲解されて批判を受けることもあれば、一生懸命書いても何ら反響のないこともあるのに、なぜまたコリずに不完全な自分を満天下に晒すのか。
書くとスッキリするからとか、意見を整理できるからというのは、ノートに書くだけでも達成できることなので、書いたものをブログで公表する理由としては、十分な説明とは言えない。

1.必要

自分の書いた文章が、誰かの役に立てたら嬉しい。
詩や日記で、誰かに楽しんでもらえたら嬉しい。
批評やエッセイで、誰かにアイデアを提供できたら嬉しい。

2.共感

自分の文章が、相手にしっかり両手で受け止められて、共感されたときは嬉しい。
共感「しようと」してくれることも嬉しい。「君の言いたいことはわからないけど、とにかく共感したいという気持ちだけは絶対ある」と思って読んでくれる読者がいたら嬉しい。
苦しんで傷ついてたときの自分を遡って救ってくれるような、決定的な共感も嬉しい。

3.批判

僕は思うのだけど、読んだ人がある部分について何か指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題が含まれていることが多いようです。つまりその部分で小説の流れが、多かれ少なかれつっかえているということです。
村上春樹『職業としての小説家』p.148

批判されることによって、自分が開いていくときは嬉しい。

4.理解

そうとわかりつつも表現者が表現するのをやめないのは、たまにその表現が正しく理解されるときの喜びを忘れられなかったり、あるいはそのうち正しく理解されることもあるだろうという希望を捨てられなかったりしているためにすぎない。
西部邁『知性の構造』p.234

内容を正しく理解してもらえると嬉しい。
理解「しようと」してくれるのも嬉しい。
大学のゼミのときに、K君が私の長大な文章を見て、「乗月さんの書いてること理解しようと何回も読んでみたんだけど、完全にはわかんなかったー!でも僕なりの意見を言わせてもらうと…」って言って持論を展開してくれて、誠実で嬉しかった。

そして、これはどうしても書きたいこと。
大学の教授に、自分なりの意見をしどろもどろになりながら、それでも精一っぱい話したことがあって、そのときに「○○ってことだよね」と、一撃で概括されて衝撃を受けた。
その一言で、自分の在り方がごそっと変わったのがわかった。何だかうまくいえないけど。
それも、教授は私の一生懸命さに配慮して共感の気持ちから言ったというのではなくて、内容の真理性にしか興味がない最高理性の裁断で、的確に頭脳を働かせてこっちの論理に内在して処理した。

5.了解

「なんとなく」見られると嬉しい。
「へー、よくわかんないけど、そういう意見もあるんだねー」と、とりあえずそのまま受け止められるとき。
文章の内容に共感してるわけでもないし、共感しようと思って熱心に見られてるわけでもなく、うすらうすら、ぼんやりと、無関心に見られてる。
相手の話している言葉が日本語だと理解できている点では、「理解」に近いけど、ただ意味理解の対象というだけには還元されないような、「受け止められている」感がある。かといって共感でもない。


必要
共感
批判
理解
了解
この5つの動機が、文章ごとにそれぞれの割合で、働いていると思う。
例えば、反論したくてしたくてたまらないというときは、相手の不正性を断罪して、真実を明らかにすることを企図しているので、私以外にも誰かにその不正性を「理解」してもらいたいし、私の公憤にも「共感」してもらいたいし、足らないところは「批判」されたいし、同じように不正性を断罪している同志にとって「必要」な情報を提供したい。
もっと言えば、反論しようとしている相手が世間によって大々的に支持されているようなときは、もうこっちは真実を書いて、一瞬刃が閃くだけでいい。つまり誰にも理解されなくても、こういう意見があるんだと満天下に「了解」されるだけでいいということもある。このように状況によって、5つの動機がコンビネーションして働いてくる。

この5つに分類されない、その他の理由としては、ブログが名刺代わりになるとか、金儲けができるとか、バックアップになるとか、糾弾して相手を傷つけたいとか、羨望されたいとか、罵倒されたいとか、批評によって正義論に参加することが政治的義務になるとか、色々あると思うけど、私は上の5つ。

 

村上春樹『職業としての小説家』

西部邁『知性の構造』

ニート生活149日目 最近出来た習慣

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昼3時にランニングするようになった。

人から見られるのは嫌なんで(といっても、すれ違う人はほとんどいないけど)、帽子とサングラスを着用して、森のなかを走る。奥にあるダムの橋に出ると、風が水のむこうから走ってきてそのまま顔にぶつかってくるから、それがすごく気持ちいい。1秒も途切れずに吹いてきて耳がごうごう鳴ってるので、周りに誰がいるかわからなくなるんだけど、帽子を深くかぶって目をつむって色んなこと考える。それから1時間くらい走って、最後にのんびり歩くのが好き。家に帰った後に自動車を点検するみたいに時間をかけて、筋肉と関節をマッサージするのも好き。

生活がパターン化することは今まであまりなかったのに、いつのまにか同じ時間に走るようになった。だからといって心の調子がよくなったり、体力がついたりしたわけではないけど。